宋の歴史

 



北宋の時代・建国者趙匡胤(チョウキョウイン)

中国では唐王朝が滅亡したあと五代十国と言う混乱の時代が訪れた。そんな混乱の時代を終わらせたのが軍人として名声を高めていた趙匡胤(チョウキョウイン)という人物。趙匡胤本人は別に皇帝になるつもりはさらさらなかったが、とても人望が厚かったらしくたくさんの部下たちが皇帝になることを望んだため渋々皇帝になった。

趙匡胤
趙匡胤

俺は別に皇帝になりたくない

部下達
部下達

趙匡胤さーん、そんなこと言わずに皇帝になってくださいよ〜

趙匡胤
趙匡胤

しょーがねーなー皇帝になるか

こうして中国の皇帝になった趙匡胤は学問によって国を治めるやり方を採用した。というのも北宋の前の五代十国時代は力こそ正義といった感じの時代で武力に頼った政治が行われていた。それを反省した趙匡胤は軍人の数を減らして役人の数を増やした。さらに役人の採用試験の最後に皇帝が直々に面接する試験を導入した。

趙匡胤
趙匡胤

学問によって国を治めるぞ。役人の最終採用試験は私と面接だ。

北方の異民族にビビっていた北宋

北宋の北方には契丹(キッタン)という異民族が建てた国である遼(リョウ)という国があった。北宋以前の五代十国の時代に中国はこの遼に万里の長城の内側をプレゼントしてしまっていた。万里の長城は北方の異民族の侵入を防ぐために作られた物なのにそれが全く意味をなさない状況になってしまっていた。

北宋
北宋

いつ遼の奴らに攻められるかわからねえから怖いな

いつ攻められるかわからない状態になっていた北宋は遼に毎年銀や絹をプレゼントをして和平を結んだ。これによって北宋はお金で平和をゲットすることに成功した。これを澶淵(センエン)の盟という

北宋
北宋

遼さん、お金あげるからせめてこないでね!

毎年遼にプレゼントを送っていたのと大量の官僚を採用したことで官僚に払う給料が増えていき北宋は財政難に陥ってしまった。王安石(オウアンセキ)という人物が財政改革を行ってなんとか国の財政を立て直そうと試みる。しかし王安石が行った改革は貧しい人を助けてお金持ちからお金を吸い取る方式を採用したのでお金持ちからの反発をくらってうまくいかなかった。

宋

財政がキチいけどうまく立て直せねえ

 



北宋の終わりと南宋の時代

北宋が財政難で苦しんでいる頃北の遼があった地域で変化があった。遼に支配されていた女真族というこれまた違う異民族が遼から独立し、遼を滅ぼして西に追いやっていた。こうして女真族は金(キン)という国を建国した。そしてこの金が靖康(セイコウ)の変によって北宋の皇帝と皇帝のお父様を捕虜にして北宋は滅んだ。

こうして北宋は金によって滅ぼされることになったが、宋の一族が南に逃げて南宋を建国した。こうして建国された南宋では金にやり返す派と毎年プレゼントを送って和平を結ぶ派で対立することになった。結果的に和平を結ぶ派が勝利したことで南宋も金に毎年銀と絹を送ることで平和を獲得した。

南宋
南宋

やっぱ俺たちはお金で平和を買っていかねえとな

まとめ

唐が滅亡したあと軍事力が物を言う五代十国時代に突入した。その後趙匡胤が北宋を建国し軍事ではなく学問の力で国を治める方針に転換した。

北宋の北には異民族の国である遼と言う国が存在していた。五代十国時代に万里の長城の内側を遼にプレゼントしていたため常に攻められるんじゃないかとビビっていた北宋は毎年遼に大量の銀と絹をプレゼントしていた。

大量の役人と遼へのプレゼントで財政が圧迫された北宋は徐々に衰退を始め遼から独立した別の異民族が建てた金に滅ぼされることになった。

北宋の一族は南に逃げて南宋を建国。内部では金にリベンジする派と毎年プレゼントをあげて平和に行こうぜ派が対立をし、プレゼント派が勝利したため南宋は金に大量の銀と絹をプレゼントすることになった。

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