アヘン戦争・アロー戦争とはなにか、わかりやすく解説

アヘン戦争・アロー戦争とは

アヘン戦争は清(中国)とイギリスの間で1840年から1842年に起こった戦争。アロー戦争は1856年から1860年に起こった清vsイギリス・フランスの戦争。アロー戦争は第二次アヘン戦争と呼ばれることもある。

アヘン戦争・アロー戦争3つのポイント

  • お茶が欲しいイギリス
  • 圧倒的な戦力差
  • 外道イギリス

お茶が欲しいイギリス

イギリスの苦悩

当時のイギリスではお茶が庶民の間でも飲まれるなど大流行していた。そしてそのお茶を求めて清と貿易をしていた。イギリスはお茶に対して銀で支払いをしていた。生産すればいくらでも出来るお茶に対して掘り尽くしたらなくなってしまう銀が流出することをイギリスは嫌がる。

貿易を独占するもの

当時清は海外との貿易するための港を広州のみにしていた。さらに公行という組合が貿易を独占していた。

公行が貿易を独占していたため、イギリスがお茶を買うためには公行と交渉するしか方法がない。そのためイギリスは公行が行ってきた値段でお茶を買うしかない。

イギリスは「もっと他にも港を開けて売ってくれる人がいたら競争が起きて値段が下がるのに」と考えるようになる。

アヘンを輸出

イギリスは自由貿易を求めて清と交渉をしたが両国の価値観の違いからうまく纏まらなかった。そこでイギリスは当時植民地として支配していたインドから清にアヘンを輸出させ、インドに綿製品などを売ることで清に流れた銀を回収するようになる。

しかしここで1つ大問題がある。アヘンには中毒性があるため清国内でアヘン中毒者が増える。清はどんどんアヘンの輸入量を増やしていき今度は清から銀が流出するようになっていく。しかも清ではアヘンは禁止されていたため密輸でアヘンを送った。

圧倒的な戦力差

アヘン、捨てられる

清は国内にアヘン中毒者が増えたことでアヘンに対する取締りを強化する。林則徐という人物が対策にあたる事になる。この林則徐がイギリスの持ってきたアヘンを没収して捨て去ってしまう。「流石に捨てるのはよくないんじゃないの?」とイギリスがキレてアヘン戦争開戦。産業革命を果たし、近代化したイギリスに対し清は為す術なくフルボッコにされてします。

南京条約

アヘン戦争に敗れた清はイギリスに南京条約を結ばされた。大まかな内容は以下の通り。

  • 5港の開港。5つとも中国南部の沿岸に位置した。
  • 公行の廃止
  • 香港島割譲
  • 賠償金支払い

この南京条約自体は普通に戦争に負けた時のあるあるって感じだけどその後治外法権と関税自主権を奪われるという典型的な不平等条約を結ばされる。そして何故かアメリカとフランスにも結ばされる。

外道イギリス

欲深いイギリス

南京条約で開いた港は南部の港であり、清の首都北京はもっと北にあったからイギリスはこの近くの港も開けたかった。でも何の理由なしに戦争おっぱじめるわけにはいかないので何か口実を探していた。そんな時ある事件が起きる。

アロー号事件

中国人のちょっと悪いっぽい人を逮捕した。イギリスに戦争で負けた後なのでこれを掲げとけば清はビビって悪さをしやすくなると思ったのだろうかその逮捕された中国人の船(アロー号)はイギリスの国旗を掲げていた。そしてその時清の警察がイギリスの国旗を捨ててしまった。

これを聞きつけたイギリスは待ってましたと言わんばかりに清に「何国旗捨ててんの?それって反抗だよね?」と戦争を開始してきた。何故かフランスを連れて。

北京条約

当然清はまたフルボッコにされる。この敗戦で北京条約を結ばされてします。大まかな内容は以下の通り。

  • 天津含む11港の開港
  • キリスト教布教の自由
  • 九龍半島南部割譲
  • アヘン公認

天津は北京に近い港でありそこを開講してイギリスはガンガンアヘンやその他輸出品を清に輸出できるようになった。

感想

イギリスの外道さが目立つアヘン戦争ですが、当時清はアヘンを形上禁止にしてはいたが実際には結構流通していたとかイギリス的にはアヘンは嗜好品でお茶も嗜好品なので対等なものの交換という認識だったとかイギリスを擁護できなくもない見方もあるみたいです。歴史は両方からみないとわかんないっすね。両方から見てもわかんないけど。

ただいつも争ってんのに外に行く時は協力するのはキモいなって思いました。

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