秦の始皇帝が行った政治と改革

ポイント3つ

  • 秦が中国を統一するまで
  • 始皇帝の政治と改革
  • 秦の滅亡

秦が中国を統一するまで

当時中国には七つの国が存在しそれぞれがボコボコにやりあう戦国時代だった。その中の一つが後に中国を統一することになる秦だった。なぜ他の六個の国ではなく秦が統一したのか?主な理由は二つある。

法の整備

考公(コウコウ)と言う人物が法家(ホウカ)と呼ばれる思想を国に取り入れることで国全体としてのまとまりが生まれ強大化していった。

円銭の使用

国の中で流通しているお金の形を円形にしたことで他の変な形のお金を使っている国に比べて経済力がアップし、強くなった。

中国統一

政(セイ)と言う人物が秦のトップをやってる時に遂に戦国時代を終わらせ中国を統一することになる。政はそれまで国のトップが名乗ってきた「王」という称号をやめ「皇帝」と名乗るようになった。始めての皇帝なので「始皇帝」と呼ばれるようになった。

始皇帝の政治と改革

国内の政治

郡県制の実施

全国を郡や県にわけ、それぞれの郡や県に皇帝が任命した役人を送り込む。これにより皇帝の命令が地方にまで行き渡るような中央集権的な体制を作った。

法家の採用と儒家の弾圧

秦は法を整備することによって強くなった国。なので中国を統一してからも非常に法を重視していた。法家の「上の者が良いやつだろうと悪いやつだろうと下のものは法に従うべき」という考え方にそって国をまとめていこうとした。

この法家に相反する考え方として儒家(ジュカ)という考え方も中国にはあった。儒家は「上の者は良い政治をし、下の者も良い行いをする」といったような考え方。この「上の者が良い政治をする」という考え方が法家とは異なるため始皇帝は儒家の書物を焼いたり儒家を生き埋めにしたりなどと弾圧した(焚書・坑儒)。

その他の改革

郡県制の実施や焚書・坑儒の他にも始皇帝は以下のような改革を行った。

  • 文字の統一。当時バラバラだった中国の文字を統一。
  • 貨幣の統一。半両銭という貨幣を使用した。
  • 度量衡。長さや重さなどの様々な単位を統一。

対外政策

当時秦の南には匈奴(キョウド)と呼ばれる異民族がいた。まだ秦による中国の統一が成し遂げられる前、北に位置する国々はそれぞれ壁を作って北の異民族からの侵入を防いでいた。始皇帝はこのバラバラに作られた壁をつなげて長城とし北の異民族の侵入を防いだ。これが万里の長城へとなっていく。

始皇帝は北だけでなく、南のベトナムの方面にも攻撃していった。華南を征服し、南海郡を設置した。

秦の滅亡

戦国時代を終わらせ中国を統一し、様々な改革を行った秦だったがわずか15年で滅亡してしまう。あまりにも急激に国を変えていったために民衆がついてくることができず、不満を溜めてしまったからだ。始皇帝の死後各地で反乱が起き、それを収めることができず滅亡してしまう。

陳勝・呉広の乱

中国史上初の農民の反乱として知られる陳勝(チンショウ)・呉広(ゴコウ)の乱。北の異民族からの侵入を防ぐための長城建設で民衆をコキ使い倒していた秦に不満を持った農民が陳勝と呉広を中心として反乱を起こした。

長城の建設現場に900人連れてこいと命じられていた陳勝と呉広。その工事現場に向かう途中で大雨にあい、期日に間に合わなくなってしまう。秦は法をめちゃくちゃ大切にする国なので遅れると罰を受けなければならない。そこで陳勝と呉広は「罰受けるぐらいなら反乱してやる!」と反乱を起こす。これは約1年で鎮圧されてしまうがこれをきっかけに各地で反乱が起こるようになる。

項羽vs劉邦

各地での反乱の結果最終的に項羽(コウウ)と劉邦(リュウホウ)が勝ち残った。そしてエリートの項羽vs農民出身の劉邦の最終対決となる。

項羽
項羽

俺はエリートで超優秀。自分にも厳しいし他人にも厳しい。

劉邦
劉邦

俺は農民出身。みんなと仲良くやってくぜ。

この全く正反対の性質を持ったと言えるであろう項羽と劉邦の戦いは農民出身の劉邦が多数の優秀な味方をつけたことで制し、次の中国の時代を作っていくこととなります。

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