中華人民共和国の歴史と毛沢東の政策

太平洋戦争で日本が敗れたことで中国に進出してきていた日本は撤退することになった。日本を中国から追い出すために一時的に協力していた中国国民党と中国共産党だったが、日本がいなくなったことで内戦に発展する。この内戦に共産党が勝利し中国大陸は共産党のものになり、国民党は台湾に追いやられることになった。

 



大躍進政策

国民党との内戦に勝利し中国をゲットした共産党。そのトップに立ったのが毛沢東。毛沢東は大躍進政策を掲げ、15年でイギリスに追いつこうとする。

毛沢東
毛沢東

イギリスに追いつくぞ

大躍進政策では鉄をたくさん作ってイギリスに追いつこうということになった。そのため毛沢東は鉄を国民に大量生産させる。独裁の毛沢東に対して鉄が作れなかったとなると処刑されかねないのでとりあえず大量に鉄を作る。それによって粗悪な鉄が大量生産されることになった。

毛沢東
毛沢東

鉄をいっぱい作れ

国民
国民

わかりました、毛沢東様!いっぱい鉄作ります!

国民
国民

作り方とかわからなかったので適当に作ったら粗悪な鉄がたくさんできました。

こうして大躍進政策は大失敗に終わり、生産性は爆下り、大量の餓死者を出すことになってしまった。

この大躍進政策の失敗によって毛沢東は一度権力の座から降りることになった。代わりに権力を握った劉少奇(リュウショウキ)と鄧小平(トウショウヘイ)によって資本主義的な経済の見直しがされることになり農業生産性は持ち直す。

文化大革命

劉少奇の経済の立て直しによって毛沢東の権威は薄れていき、劉少奇の人気が上昇した。毛沢東は逆ギレして文化大革命を始める。

毛沢東
毛沢東

劉少奇調子乗ってんなあ。中国のトップは俺やぞ。

毛沢東は学生たちに個人崇拝をさせる。毛沢東信者となった学生たちが「紅衛兵」となって毛沢東を批判する人や社会主義を批判する人をどんどん攻撃していく。毛沢東は紅衛兵の暴動を歓迎し、取締ることはなかった。

毛沢東
毛沢東

全国の毛沢東信者の学生たち!暴れろ!

この紅衛兵によって暴虐の限りがなされ、毛沢東が亡くなるまで文化大革命は続いた。この文化大革命によってあらゆる産業や文化は停滞することになった。

 



鄧小平の時代

毛沢東の死後、毛沢東によってボロボロになった中国を立て直すことに成功したのが鄧小平(トウショウヘイ)。鄧小平は改革開放によって経済を自由にする。つまり共産主義の国なのに資本主義の仕組みを導入した。さらに経済特区を作って外国の企業も受け入れた。この鄧小平による改革開放によって中国の経済はとんでもない勢いで成長していくことになる。

鄧小平
鄧小平

自由な資本主義の仕組みを導入して経済を活性化させるぞ

資本主義的な経済の仕組みを導入して自由な経済活動を行うことができるようになった中国国民は政治的な自由も求めるようになった。学生や労働者が民主化を求めた運動が起こり天安門広場に集まった。これを鄧小平は軍隊を投入して鎮圧。経済的な自由は認められているが政治は共産党の一党独裁である社会主義市場経済という体制が作られた。

労働者・学生
労働者・学生

政治的な自由も俺たちに認めてくれよ!選挙させてくれ!

鄧小平
鄧小平

民主化はまだ早い。軍隊で弾圧だ。

まとめ

第二次大戦後、国民党との内戦に勝利して中国大陸をゲットした共産党は改革を進める。最初に行ったのが大躍進政策。イギリスに追いつくことを目標に工業と農業の両方での発展を目指す。しかしこれが尽く失敗に終わりとんでもない数の餓死者を出すことになった。

その後一度毛沢東の存在感は薄まるが、学生中心の毛沢東の信者たちである紅衛兵が暴れる文化大革命を行った。この文化大革命によって経済や文化が停滞した。

毛沢東の死後鄧小平が実権を握り、毛沢東の尻拭いをすることになる。政治的には社会主義の一党独裁を維持しながらも、経済は自由な資本主義的な仕組みを導入することで経済発展を遂げることになった。

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