隋の建国者は?滅びたのはなぜ? わかりやすく解説

三つのポイント

  • 初代皇帝:楊堅(ヨウケン)
  • 二代目肯定:煬帝(ヨウダイ)
  • 秦と隋、漢と唐は非常に似ている

初代皇帝:楊堅(ヨウケン)

約300年ぶりに中国を再統一

長く続いた漢が滅びた後かの有名な三国志の時代なども含めて中国は約300年争いまくることになる。最終的に北と南に分かれることになった。この北に出てきたのが後に中国を統一することになる隋だ。

隋は南を攻めて中国統一する前に北の異民族の国をぶっ飛ばして挟み撃ちに合わない様にした。その上で南にあった国をボコして約300年ぶりに中国を統一することになる。

科挙の実施

漢の時代から中国の役人は推薦によって採用されていた。推薦の悪いところは推薦してもらいたいがために賄賂を送ったりして不正が蔓延ったり、良い家柄の人や身分の高い人しか推薦してもらえなかった。そのため本当に優秀な人材が集まりにくくなっていた。そこで楊堅は

楊堅
楊堅

学科試験を実施して頭のいいひとを役人に採用します。

と言って科挙という制度を始めた。これにより家柄や身分関係なく、頭の良い優秀な人材が役人に採用される様になる。

三大制度

楊堅は国を治めるにあたって以下の三つの制度をうまく組み合わせた。

  • 均田制(キンデン):農民に土地を与える
  • 租庸調制(ソヨウチョウ):租は穀物、庸は労働、調は布など。これらの税金を課した
  • 府兵制(フヘイ):農民から徴兵した

この様に農民に土地を与える代わりに、税や徴兵を課すことでうまく国をコントロールした。

二代目肯定:煬帝(ヨウダイ)

大運河の作成

中国には黄河と長江というどでかい河が二つ流れているこの二つをつなげるとめちゃくちゃ便利。だけどあまりにも大規模すぎるため今までの皇帝はやらなかった。しかし煬帝はこの河をつなげると言って女、子供関係なく工事に動員し、民衆をこき使いまくった。

民衆をこき使いまくってできた運河のおかげで政治の中心地と経済の中心地をつなげることに成功した。この運河は現在でも中国で使われている。

朝鮮半島に遠征するも

当時朝鮮半島には高句麗(コウクリ)という国があった。この国に対して煬帝は三回遠征して戦争を仕掛けるがいずれも失敗してしまった。

隋が滅びた理由

この様に二代目皇帝煬帝が民衆をこき使って運河を作ったり、そのくせ遠征には失敗しまくったせいで民衆には不満が溜まった。その結果各地で反乱が起こり隋は40年程度で滅亡することとなる。

秦と隋、漢と唐は非常に似ている

隋は300年ぶりに中国を統一するという偉業を成し遂げたわけだが、二代目皇帝である煬帝が暴れまくったおかげで民衆の反乱を招き短命に終わってしまった。しかし隋に変わって中国に建てられた唐は隋の三大制度や大運河を使うことで長く繁栄することとなる。

これは非常に秦と漢の関係に似ている。秦は中国史上初めて中国全土を統一する偉業を成し遂げた。しかしその後始皇帝が急激に国の制度を変えまくったり万里の長城建設のために民衆をこき使いまくったせいで農民の反乱を招きわずか15年で滅亡してしまった。

秦のあと建てられた漢は途中で新という王朝に一度覇権を譲ってしまうがその後再び取り替えり長きにわたって繁栄を築いた。

この様に荒れた中国を統一し、制度を作った秦と隋。その後それらの国によって作られた制度をうまく使って長い繁栄の時代を作った漢と唐は非常に似ている。

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