ビスマルクのドイツ統一までの歴史はこちら
ドイツの内政と発展
普仏戦争でフランスを倒したドイツはフランスから多額の賠償金を獲得した。さらに資源が豊富なアルザス=ロレーヌ地方を獲得することに成功した。ここで取れる石炭や鉄鉱石をもとに工業を強化してドイツはイギリスを抜いて工業生産数第二位の地位にまで上り詰めた。

国としてまとまるのを邪魔する勢力を潰す
こうしてビスマルクは南ドイツに多かったカトリック教徒や失業者中心の社会主義者を弾圧した。しかし弾圧するだけでなく、社会福祉を充実させることで国に不満を持つことが内容にうまくコントロールした。
こうした国の内側での政策も目を見張るものがあるビスマルクだったが、外交ではさらに有能さを見せつける。
三帝同盟
地理的なドイツの立ち位置は左にフランス、南にイタリア、右下にオーストリア、右にロシアが存在するという立ち位置だった。普仏戦争のリベンジの機会を狙う左のフランスとは仲が悪かった。

オーストリアとロシアと手を組む
左右から挟み撃ちされると戦力を半分にして戦うことになるのでフランス方面に全力を尽くすために反対側とは仲良くしとこうと考えた。当時のオーストリアとロシアはバルカン半島という共通の地域をお互いに狙っていたためいつ仲が悪くなるかわからなかった。

バルカン半島の問題をうまく仲介するから仲良くやってこうぜ
こうしてビスマルクはオーストリアとロシアと三帝同盟を結ぶことに成功する。
しかしバルカン半島を巡った争いが起きてしまい、ベルリン会議が開かれることになった。

ここは一旦オーストリアの主張を通す

は?仲介してくれるんじゃねえのかよ。三帝同盟脱退するわ。
こうしてロシアが三帝同盟を脱退してしまった。

オーストリア、もしロシアに攻められたら一緒にボコそうぜ
ロシアの脱退を許してしまったビスマルクはオーストリアと手を組んだ。

ロシアさん、あなた1人で俺ら2人とやりあうの?もう一回手を組まないかい?
こうして一度ロシアが脱退してしまった三帝同盟だったが、ビスマルクの巧みな外交戦略によりもう一度同盟を組むことができた。
その後もう一度ロシアとオーストリアが対立をし三国同盟は解消された。

ロシアとオーストリアが戦争したらオーストリア側に作って世間的にはなってますけれども、秘密でロシアと条約結んで二国が戦争しても中立をお約束します。
こうしてドイツとロシアの間で秘密条約が結ばれ、ドイツはオーストリアとロシアどちらからも攻められることはない状況を作り上げた。
三国同盟
ロシアを抑えたビスマルクはイタリアとの関係も結んでいく。

チュニジアを保護国にします

いやそこ俺が狙ってたんだけど
チュニジアをめぐってフランスに嫌悪感を示し始めたイタリアに同じくフランス嫌いのドイツは接近する。

イタリアさん、オーストリアと領土問題抱えてるよね?
うまく間を取り持ってあげるから三国で協力しない?
イタリアとオーストリアは領土問題を抱えていた。三帝同盟の時のバルカン半島と同じだ。これに同じような態度でドイツは接近し、2カ国の間を取りまとめる役として三国同盟を結ぶことに成功する。
まとめ
こうして三帝同盟と三国同盟を結ぶことでロシア、オーストリア、イタリアと同盟関係を築いたドイツ。普仏戦争で破れて以来ドイツに復讐を狙うフランスはヨーロッパで孤立することとなった。

俺は最強だから誰とも同盟組む必要がない。「光栄ある孤立」
こうして出来上がった国際秩序をビスマルク体制という。このビスマルク体制が崩れることで第一次世界大戦は勃発する。
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