ビスマルクによるドイツ統一

この記事はこちらの記事の続きになります

デンマーク戦争

ドイツ統一をめぐって大ドイツ主義と小ドイツ主義で争い合ってなかなか決着がつかない膠着状態に陥った時にプロイセンにビスマルクが現れた。

ビスマルク
ビスマルク

ドイツ統一は鉄と血によってのみ解決される

要するにドイツ統一は話し合いではなく戦争によってのみ解決することができるということ。まずビスマルクはデンマークに戦争を仕掛ける。

ビスマルク
ビスマルク

デンマークにはドイツ人が多く住んでいる地域がある。そこを奪う。

ビスマルク
ビスマルク

オーストリアさん、デンマーク倒してドイツ人地域を一緒に管理しようよ

こうしてビスマルク率いるプロイセンはデンマークに戦争を仕掛ける。オーストリアも誘って戦争に勝利してドイツ人地域を奪ったら共同で管理しようと持ちかける。

ビスマルク
ビスマルク

デンマークから奪ったドイツ人地域は俺たちだけで管理する

プロイセン=オーストリア戦争(普墺戦争)

デンマークの土地を共同管理する約束でオーストリアの協力を仰いだが、戦争に勝利するとプロイセンだけでドイツ人の地域を管理すると言い始めた。当然オーストリアはキレる。こうしてプロイセン=オーストリア戦争が勃発する。これはビスマルクの思惑通りでオーストリアを戦争で倒してオーストリアをドイツ統一から除外しようとした。

こうして開戦したプロイセン=オーストリア戦争はわずか七週間で決着がついた。勝者はプロイセン。ドイツ統一からオーストリアの除外が決定的となり、プロイセン含む北ドイツ連邦が成立した。

オーストリアはこの戦争の敗北を受けて弱体化したため、それまで支配していたハンガリーに自治を認めオーストリア=ハンガリー帝国となった。



プロイセン=フランス戦争(普仏戦争)

北ドイツの統一に達成したプロイセン。残るは西南ドイツだけだった。この地域はカトリックが多く、プロテスタントであるプロイセン中心の北ドイツ連邦とは対立していた。西南ドイツは同じカトリックであるオーストリアの他にフランスも頼りにしていた。

当時のフランス皇帝だったナポレオン3世はこう考えていた。

ナポレオン3世
ナポレオン3世

戦争にかって国内の人気を勝ち取る

対するビスマルク

ビスマルク
ビスマルク

フランスをボコしてドイツ統一を成し遂げる

こうしてお互いに戦争を利用して国を強くしたいと考えていた。

ビスマルク
ビスマルク

ナポレオン3世はアホ

ナポレオン3世
ナポレオン3世

黙れビスマルク。所詮ぽっと出が、握り潰してくれるわ。

こうして始まったのがプロイセン=フランス戦争(普仏戦争)。

結果ナポレオン3世を捕虜にするぐらいプロイセンがフランスをボコボコにした。オーストリアとフランスという頼りどころをなくした西南ドイツを北ドイツに組み込み、フランスのベルサイユ宮殿でドイツ帝国の建国を宣言した。

ビスマルク
ビスマルク

ドイツ帝国を建国しました in ヴェルサイユ宮殿

こうしてビスマルクによりドイツ統一が成し遂げられた。統一を成し遂げた後のビスマルクも外交で才能を発揮する。ビスマルクの外交について書いた記事もよかったら読んでみてください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました