フランク王国の歴史をわかりやすく解説

 



三つのポイント

  • メロヴィング朝
  • カロリング朝
  • カール大帝

メロヴィング朝

ゲルマン人の大移動によってヨーロッパには沢山国ができた。その中の一つがゲルマン人の中でもフランク族と呼ばれる民族がガリア北部(フランス北部)に建国したフランク王国。ゲルマン人国家の中で唯一繁栄できた。その理由を探っていく。

最初に現れたのはクローヴィス。クローヴィスはバラバラだったフランク族を一つにまとめてメロヴィング朝を建国。

クローヴィス
クローヴィス

アリウス派やめてアタナシウス派に改宗します。

ほとんどのフランク族はローマで異端とされたアリウス派と呼ばれるキリスト教を信仰していた。クローヴィスも最初はアリウス派を信仰していたがそれだと元々ローマの住民だった人たちとは相容れないので自身がローマで信仰されていたアタナシウス派に改宗して民衆の協力を得た。

カロリング朝

カール=マルテル

こうして上々のスタートを切ったメロヴィング朝だったが、子供に国を相続する時に一人に全部あげる方式じゃなくて均等に分割して相続してく方式を採用した。そのため相続していけばしていくほど一人分の領土はちっちゃくなって王の権力は弱まっていった。

王の権力が弱まると同時に宮宰(キュウサイ)と呼ばれる国の中で結構偉い感じの人が権力をでかくしていった。その宮宰の中でも最も勢力をデカくしたのがカール=マルテル。

カール=マルテル
カール=マルテル

南から来てるイスラム勢力倒すぞ

カール=マルテルは現在のスペインの方からどんどん勢力を伸ばしてきてたイスラム教のウマイヤ朝をトゥール・ポワティエ間の戦い倒した。このようにカールマルテルはすでに王を超える力を持っていたが宮宰の地位に留まった。

ピピン

カール=マルテルの息子のピピン。彼がメロヴィング朝を倒してカロリング朝を建国。でもそれだけだとただの反逆者になっちゃうのでピピンは考えた。

ピピン
ピピン

ランゴバルド倒してローマ教皇に土地あげる。

ローマ帝国がなくなってからバックアップがいなくなっていたローマ教皇。ランゴバルドという国に攻められてきつかったところをピピンが助けてラヴェンナ地方を教皇にプレゼント。ローマ教皇はピピンのカロリング朝を認めたことで宗教的な権威を獲得することに成功する。

 



カール大帝

ピピンの息子がカール大帝。

カール大帝
カール大帝

東西南北全員倒す

カール大帝は東のアヴァール族、西は後ウマイヤ朝、南はランゴバルド族を、北はザクセン族を倒して領土を拡大しまくった。

地方に伯を派遣して統治させ、さらに巡察使に伯がちゃんと統治してるかを監視した。この統治の方法はアケメネス調ペルシアと似ている。

さらに文化にも理解があったカール大帝はイギリスから神学者を招くなど多大な貢献をした。ローマ時代の文化を復興させカロリング=ルネサンスとも呼ばれる。

そして遂にローマ教皇レオ三世から冠を授かり、自称の王からキリスト教公認の王になった。

まとめ

フランク王国はゲルマン人大移動に伴ってできた国の中で唯一長く続いた。その主な理由はローマで異端とされていたアリウス派からアタナシウス派に改宗したこと。それにトゥール・ポワティエ間の戦いでイスラム勢力を倒したり、ローマ教皇と密接に関わることで宗教的な権威を獲得することができたことがあげられる。

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