自由を求めたイギリスの国民
19世紀前半、イギリスでは様々な面で自由を求めて人々は動いていく。フランスでは王の権力が強かったので、国民は一致団結して国王を倒すことに集中できた。それに対してイギリスはピューリタン革命や名誉革命を通して王に対する議会の権限が強くなっていた。一致団結できたフランスと違ってイギリスでは国民の意見が分かれて対立をしながらも最終的には自由を求めて国の法律を変えていくことになる。
宗教的な自由を求めて
イギリスにはイギリス国教会を中心にカルヴァン派を信仰するピューリタンと呼ばれる人々、さらにアイルランドにはカトリック教徒が多かった。

俺たちも公務員にさせてくれよ
イギリスでは国教会が中心で国教会を信仰する人しか公務員になることができないと決められた審査法が存在していた。これに対して他のキリスト教の宗派を信仰する人が講義をしてこの審査法を廃止し、ピューリタンなどのプロテスタントの人も公務員になることが許された。

俺たちも公務員にさせてくれよ
翌年カトリック教徒も同じような主張をしてカトリック解放法が制定され公務員になることが許された。
政治的な自由を求めて
さらに長い間選挙区の改正が行われていなかった。産業革命の影響で都市に人口が集中していた影響で選挙区に有権者が少ししか存在しないという腐敗選挙区があった。
さらに当時のイギリスでは選挙権はごく一部の地主層にしか与えられていなかった。こちらも産業革命によって新しく誕生した社長や経営者のような人々が選挙権を求めた。

俺たちも選挙に参加させてくれよ
こうした腐敗選挙区と選挙権の二つの問題が第1回選挙法改正で解消された。これにキレたのが社長や経営者のもとで働く労働者たち。チャーティスト運動と呼ばれる史上初の労働者階級による政治的な運動が行われる。チャーティスト運動自体は成功しなかったものこれが元となって第二回選挙法改正によって都市労働者にも選挙権が与えられた。

俺たちも厳しい条件で働いてるんだぞ。選挙権与えろよ。
イギリスではこのような動きがあり徐々に選挙権が拡大していった。
貿易の自由を求めて
産業革命によって大量の製品を作ることが可能になったイギリス、経営者たちは作った製品を輸出してお金を稼ぎたいので自由な貿易を求めるようになっていく。

輸出積極的にしたいから自由に貿易させろ
イギリスは気候があまり良くなく穀物が育ちにくい。そのため大陸のヨーロッパの国から穀物を輸入していた。そして輸入してきた穀物には穀物法によって関税がかけられ、国内の穀物生産者を守るようになっていた。穀物が高いとそれを食べて生活する労働者の給料も高く設定しなければならない。それが気に食わない経営者たちは穀物法を廃止することを求め廃止された。

おい、穀物が高いと従業員の給料高くしないといけないだろ。穀物法廃止して安い穀物を流通させろ。
さらに東インド会社が独占していたアジアでの貿易権を撤廃して民間企業も自由に貿易をできるようにしたり、航海法を廃止してイギリス以外の貿易船にもイギリスの港を使えるようにした。このようにイギリスでは自由貿易が完成していった。
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