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第二共和制
二月革命によって王ルイ=フィリップを追い出すことに成功したフランス国民。今度こそは王のいない国にしようってことで共和制になった。最初に臨時政府が作られた。この臨時政府に入閣した人物にルイ=ブランがいた。

労働者や失業者のための政治をする
ルイ=ブランは社会主義者だった。社会主義は簡単に説明するとお金や土地などの資産を国民みんなで平等に分配することを理想とした人たちのこと。極端に言うと貧富の差を0にすることが最高の世界であると考える人たち。お金も土地も持たない労働者は社会主義的な思想を持つことが多かった。
何かを支持する人がいれば反発する人もいるのが人間の歴史だ。今回もその通りになり社会主義的な思想に反発する人が現れる。今回反発したのは農民だった。

俺たちはお金はないけど土地はある
決してお金があるわけではないが土地を持っていた農民たち。社会主義が浸透すると自分たちが持っているなけなしの土地も国のものになって国民全員に平等に分配されることになる。これを理由に農民たちは労働者中心の社会主義者に対抗した。
このような対立を国内に抱えた状況で選挙が行われた。結果は農民側の圧勝。労働者側は敗れた。国がつくった失業者に仕事を与える機関が廃止されると労働者や失業者は暴動を起こした。この暴動は失敗に終わり、ルイ=ブランは亡命することになった。
第二帝政
農民vs労働者の間で対立が激しくなるなかフランスにナポレオン3世が現れた。かの有名なナポレオン・ボナパルトの甥っ子だったルイ=ナポレオンは選挙で大統領に就任する。

クーデタを起こして皇帝になる
こうしてルイ=ナポレオンは皇帝となりナポレオン3世と名乗るようになった。フランス国民はフランス革命期のナポレオンに強い憧れや尊敬があったためナポレオンの甥と聞くと希望を持てたのだろう。

労働者、農民、資本家、みんな俺についてこい
ナポレオン3世は対立していた人たちみんなに優しくしたり守ることで国内の対立を無くして行った。こんなことは普通の人間ではできないが彼には人気があったため可能だった。さらに人気を保つためにナポレオン3世はいろんなことを行っていく。

パリの街を美しくしてパリ万博を開くぞ
パリの街が美しいのはナポレオン3世のおかげと言っても過言ではない。

海外を攻めて侵略するぞ
さらにナポレオン3世は戦争の種を見つけては介入し、勝利することで国民の人気を維持しようとした。
- ロシアに戦争を仕掛けクリミア戦争で勝利
- アロー戦争で勝利
- イタリア統一戦争で勝利
- インドシナ出兵で勝利
順調に勝ち続けていったナポレオン3世。しかしメキシコ出兵で敗北を喫するとここから徐々に調子を悪くしていく。そして迎えたお隣ドイツとのプロイセン=フランス戦争(普仏戦争)でナポレオン3世はプロイセン軍の捕虜になってしまう。これによりナポレオン3世は人気を無くし、皇帝を失脚することになる。

プロイセンの捕虜になって皇帝やめさせられた
混乱するフランス
ナポレオン3世が捕虜になったことで再び揺れることになるフランス。普仏戦争の条約として不平等な条約を飲んで国民の反発を食らい社会主義者である労働者が政権を握ったり、再び王を復活させる派とさせない派で揉めに揉めることになって、1票差で王がいない共和制になることが決定するなどこの時代のフランスは混乱を極めた。
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