三十年戦争後のプロイセンとオーストリア

 



プロイセンとオーストリア

神聖ローマ帝国で宗教戦争である三十年戦争が起こり、神聖ローマ帝国は名前だけ存在していてもほどいないみたいな状態になっていた。神聖ローマ帝国は300個くらいの小さい国のまとまりになっていた。そんな神聖ローマ帝国内で三十年戦争の影響を受けなかった国が二つある。それがプロイセンとオーストリア。プロイセンは神聖ローマ帝国内でも北東の外れにある。よって三十年戦争の影響を受けにくかった。南東にあるオーストリアも兵は出したものの戦地にはならなかったので影響が少なかった。

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プロイセンはどんな国か

プロイセンは二つの国が合体してできた国でホーエンツォレルン家が支配していた。大航海時代以降西ヨーロッパでは商工業活動に従事する人が多くなっていた。それによっては農業の人口が減少していた。プロイセンはそこに注目し、西ヨーロッパに輸出するための穀物を生産することでお金を稼いだ。そうしていくうちに領主が農奴を使って穀物を生産する農奴制が強化された。こうしてユンカーと呼ばれる領主層の力が強くなっていく。

そんなプロイセンの王にフリードリヒ・ヴィルヘルム1世がいる。

フリードリヒ・ヴィルヘルム1世
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世

軍隊を強くしてプロイセンを強い国にするぞ

こうしてフリードリヒ・ヴィルヘルム1世は軍隊の強化に力を入れ兵隊王と呼ばれ、最強の軍隊を築いた。

次に息子のフリードリヒ2世が王になる。

フリードリヒ2世
フリードリヒ2世

学問もできて芸術的才能があるよ。フルートふける!

でも剣術も最強で戦争はめちゃくちゃ強いぞ

フリードリヒ2世は学問に明るく、さらに芸術的才能もあった上に戦争も強いとかいうチート状態。啓蒙専制君主の代表例とも言われ国民のために良い政治をしようと頑張った。「朕は国家なり」と言い放ったルイ14世とは正反対の言葉も残している。

フリードリヒ2世
フリードリヒ2世

君主は国家第一の僕(しもべ)

 



オーストリアはどんな国か

オーストリアは代々ハプスブルク家が支配していた。ハプスブルク家はオーストリアの王もしつつ神聖ローマ帝国の皇帝も兼任するような優秀な一族だった。三十年戦争により神聖ローマ帝国が名前だけの存在になったことでハプスブルク家はオーストリアの政治に専念できるようになっていく。ここからオーストリアの黄金時代が始まる。それを象徴する出来事として中東のオスマン帝国による第二次ウィーン包囲を撃破しハンガリーを獲得して領土を拡大している。

そんなオーストリアの王にマリア=テレジアという女性が即位することになる。

マリア=テレジア
マリア=テレジア

子供めちゃくちゃ多いっす。しかも政治能力高くて戦争も強いよ。

プロイセンのチート、フリードリヒ2世のライバルのような存在の彼女。子沢山でその子供のうちの一人が後にフランスブルボン家に嫁ぐことになるマリー=アントワネットもマリア=テレジアの子供の中の1人。

マリア=テレジアの王位継承をめぐった戦争オーストリア継承戦争とその後に起こる七年戦争、そして啓蒙専制君主とは何かを解説した記事もあるのでよかったら読んでみてください。

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