ピューリタン革命(清教徒革命)とは何かわかりやすく解説

 



ピューリタン革命とは

チャールズ1世によって肩身の狭い思いをしていたピューリタン(カルヴァン派のプトテスタント)がチャールズ1世を処刑して王のいない共和制にした革命。

ピューリタン革命3つのポイント

  • チャールズ1世の専制政治
  • 議会vsチャールズ
  • クロムウェル

チャールズ1世の専制政治

チャールズ1世が王になるまで

チャールズ1世の2個前の王はエリザベス女王だった。エリザベス女王は結婚をしなかったために子供がおらず次の王はスコットランドの王でもあったジェームズ1世がイギリスの王にもなった。

このジェームズ1世は王の自由にできる専制政治を行った。さらに宗教をイギリス国教会(王が一番偉い)とし、当時イギリスにいたカルヴァン派(ピューリタン)とカトリック教徒にイギリス国教会を強制した。

チャールズ1世

ジェームズ1世の次にイギリスの王になったチャールズ1世も同様の政策をした。これに対してイギリス議会がもっと議会の権限を大きくしてくれと反発。この反発に対してチャールズは議会の解散を命じる。

議会vsチャールズ

議会再招集からの再解散

イギリスだけでなくスコットランドでもイギリス国教会の強制をしていたチャールズ1世。そんなチャールズ1世に対してスコットランドのカルヴァン派が反乱を起こす。この反乱を収めるための戦費を調達しなければならないが税金の徴収は議会がやってた。議会を解散してたから税金を集められなくなったチャールズは議会をもう一回集める。当然議会はふざけんなってな訳でまたすぐに解散させられる。

再々招集と議会内での対立

結局反乱を抑えられずにその賠償金を払うためにまた議会を招集することになる。今度はすぐ解散せず長期だったため議会内でも王と仲良い人たち(王党派)と王邪魔だなー(議会派)な人たちに分裂する。

 



クロムウェル

そして王と仲良い人たちvs王邪魔だなーの人たちで内戦が起きる。初めは王と仲良い人たちが優勢だったけど途中でクロムウェルが現れて王党派に圧勝。

議会派の中でも「王は一応いてもいいけど権限は弱くしよ」の人たちと「いやもう王いらねえだろぶっ殺そうぜ」の人たちがいた。クロムウェルは「いやもう王いらねえだろぶっ殺そうぜ」の人たちだったので「王は一応いてもいいけど権限は弱くしよ」の人たちを追放して1649年にチャールズ1世を処刑。イギリスは王のいない共和制になった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました