七月革命と二月革命

 



ブルボン朝の復活

ウィーン会議によってフランス革命とナポレオン戦争をなかったことにしたためフランスはブルボン朝が復活した。ルイ18世が皇帝に即位する。

ルイ18世
ルイ18世

憲法の存在を認めるし、選挙もするわ

一度フランス革命で自由を味わった国民に対して王が好き勝手に政治をしたら国民の不満は高まる。なのでルイ18世は比較的国民に優しい王だったと言える。しかしルイ18世の後即位したシャルル10世はそうではなかった。

シャルル10世
シャルル10世

議会解散!憲法無視!絶対王政しか勝たん!

このままだと当然国民の不満が高まってしまうのでシャルル10世は考えた。

シャルル10世
シャルル10世

対外戦争を仕掛けて国民の不満を逸らそうか

こうしてフランスは地中海を挟んだ向かい側のアルジェリアに出兵をする。アルジェリアはフランスによって重要な植民地となり莫大な利益をもたらすことになる。

七月革命

絶対王政に戻すことを国民にバレないようにするために対外戦争を行ったシャルル10世。しかしそれに騙されるほど国民も馬鹿ではなかった。

フランス国民
フランス国民

おい、シャルル10世また絶対王政に戻そうとしているだろ。革命を起こそうぜ

こうして再び王を倒すためにフランス国民は立ち上がった。パリ市内の学生や労働者を中心に武装蜂起した。

シャルル10世
シャルル10世

ギロチンされたくねえからオーストリアに逃げる

こうしてシャルル10世はオーストリアに亡命しブルボン朝を終わらせた。

 



二月革命

七月革命によってブルボン朝が倒されて王のいない共和制になるかと思いきやなぜか別の人が王として即位した。王に即位したルイ=フィリップは絶対王政を否定して一見国民のための政治を行いそうな雰囲気があった。でも実際はこうだった。

ルイ=フィリップ
ルイ=フィリップ

貧乏人はどうでもいい。お金持ちのいうことだけ聞きます。

こうしてお金持ちのいうことを聞きお金持ちが優遇された政策をするようになっていく。当然国民の不満は高まることになる。再びフランスで革命が起こる。この革命が二月に始まったことから日本では二月革命と呼ばれる。ルイ=フィリップはイギリスに亡命しフランスは今度こそ王のいない共和制になった。

七月革命と二月革命はフランスの周りの国々にも影響を与えた。周りの国の国民もウィーン会議で決まったことに不満があれば革命を起こして変えて仕舞えば良いということがわかったからだ。特に二月革命に影響を受け周りの国で革命が連鎖したことを「諸国民の春」と呼び、ウィーン体制の崩壊を招いた。

この後のフランスの歴史はこちらの記事をどうぞ!

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