会議は踊る、されど進まず
フランス革命からのナポレオン登場、そしてナポレオン戦争によってヨーロッパはぐちゃぐちゃになった。そのナポレオン戦争の戦後処理としてオーストリアのメッテルニヒ主催でヨーロッパ各国の偉い人が集まって今後のヨーロッパをどうしていくかを話し合った会議。
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フランス革命とナポレオン戦争をなかったことにしてそれ以前のヨーロッパに戻そう
こうしてウィーン会議の大枠が決まった。大枠は決まったものの細かなところで利害が対立しなかなか国境が決まらなかった。昼は会議をしつつもなかなか進まず、夜は会議のことを忘れてみんなで踊っていたことから「会議は踊る、されど進まず」と揶揄された。

ウィーン会議の結果
ウィーン会議の結果主に以下のようなことが決められた
- フランス:ブルボン朝の復活
- ロシア:ポーランド立憲王国の王をロシア皇帝が兼任する
- イギリス:植民地政策に有利になりそうな島や領土を獲得
- オランダ:ベルギー獲得
- オーストリア:北イタリア獲得
- ドイツ:神聖ローマ帝国は復活せず、ドイツ連邦が成立
ウィーン体制を維持するための同盟
ウィーン会議によって王や権力者が復活となったため、フランス革命によって一度自由を味わった民衆の反乱を抑えるための同盟が組まれた。

みなさんまたフランス革命みたいな反乱起こるの嫌なので同盟組みましょう
ロシアのアレクサンドル1世の呼びかけでロシア、オーストリア、プロイセンの君主の間で神聖同盟が結ばれた。のちにヨーロッパの多くの君主が参加することになるも具体的にどうするかの決まりはなかった。
またフランス革命再発防止のためにイギリス、オーストリア、プロイセン、ロシアによって四国同盟が結成された。こちらは神聖同盟と違って革命が起きそうだったら武力で解決することも辞さない同盟だった。のちにフランスも参加し五国同盟となった。
まとめ
ナポレオン戦争によってぐちゃぐちゃになったヨーロッパを元に戻すために行われたウィーン会議。小さいイザコザもありながらなんとか決まり、いくつかの同盟も結ばれるようになった。ウィーン会議によって作られた国際秩序をウィーン体制という。ただこのウィーン体制は長くは続かず、すぐに崩壊していくことになる。ウィーン体制がどのように崩壊していったかを書いた記事はこちら
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