前回のウィーン体制が形成されたウィーン会議の内容はこちら
ウィーン体制を揺るがす二つの思想
ナポレオン戦争によって一度グチャギュチャになったヨーロッパ。それをフランス革命前に戻そうということで開催されたウィーン会議。「会議は踊るされど進まず」と言われたようになかなか決まらなかったが、なんとか解決までこぎつける。
しかし一度フランス革命で自由を享受した民衆はもう一度王のいる時代に戻りたくなかった。そんな中で二つの考え方が生間れる。
自由主義
一つ目は自由主義

今更王に支配なんてされたくない!俺たち国民も政治に参加させろ!
こうした考え方が広まりドイツで学生が自由を求める運動を起こしたり、イタリアやロシアでもこうした反乱が起こった。
国民主義
二つ目が国民主義(ナショナリズム)

俺たちは他国に支配されない!自分たちで独立を達成するんだ!
イスラム教でトルコ人国家のオスマン帝国の支配下にあったギリシャが独立を求めオスマン帝国に対して戦争を起こす。結果的にギリシャは独立を果たす。
ラテンアメリカでの独立
独立の動きはラテンアメリカ(主に南米)で高まった。ヨーロッパがナポレオン戦争やその後のウィーン会議によってスペインやポルトガルが支配していたラテンアメリカに隙が生まれた。

ヨーロッパが内側でゴチャゴチャしている内に独立するぞ!
こうしてフランスから独立を達成したハイチを筆頭にして次々と南米や中南米の国が独立していった。ラテンアメリカの国々はヨーロッパの支配を抜け出して独立を達成したものの新しく支配者になったのはラテンアメリカで生まれた白人だった。
ラテンアメリカの独立を防ぎたい国と推進したい国

南米の独立の動きがヨーロッパにきたらやべえから独立を止めろ
ウィーン会議の主催者であったオーストリアのメッテルニヒはラテンアメリカの独立の動きがヨーロッパに影響を与えてウィーン体制が崩壊するのを恐れた。そのため独立を防ごうとする。
しかしラテンアメリカの独立を助ける国が現れた。一つ目がアメリカ。

アメリカ大陸はアメリカ大陸でやってくからヨーロッパはアメリカ大陸に口出ししてくんな。
こうしてアメリカはラテンアメリカの国々の独立を助けていく。独立を助けることで後々アメリカのいうことを聞いてもらいやすくする狙いもあった。
二つ目がイギリス。

ラテンアメリカの国々に独立してもらってうちの商品買ってもらお
イギリスは独立を手助けすることで独立したのちに国内の製品を買ってもらう良い貿易相手になってもらおうとした。
こうしたそれぞれの思惑を持った2カ国によって独立が助けられたことでメッテルニヒの独立防ぐ作戦は失敗に終わった。
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