大政奉還から王政復古の大号令と戊辰戦争をわかりやすく解説

前回

 



大政奉還

いがみ合っていた薩摩と長州が坂本龍馬の仲介によってついに手を結び、幕府を倒す準備が整った。しかし黙ってやられる幕府ではなかった。そもそも日本で一番偉いのは誰かと言うとそれは天皇であり、それはこの当時も同じだった。幕府はあくまでも天皇から政治を行う権利を与えてもらっている側という側面があった。

幕府、お前に政治を行う権力やるよ

ありがとうございます。政治を仕切らせていただきます。

あくまで国のトップは天皇なので薩長は天皇から幕府を倒せとの命令を受けて幕府をシバきたかった。天皇からの命令がないまま幕府に戦争を仕掛けると、天皇に政治権力を授かっている幕府に対する反逆者に薩長がなってしまうからだ。天皇からの命令があれば、自分たちが正義になり幕府を悪とすることができる。

天皇の命令によって幕府をシバきたいから天皇に命令してほしい。

そして孝明天皇が崩御し、明治天皇が即位するとついに幕府をシバけとの命令が薩長に出された。

明治天皇
明治天皇

幕府をシバけ

こうしてついに薩長が幕府を倒す実力と大義名分を得たところで幕府が動く。それが大政奉還。大政奉還とは要するに今まで借りていた政治を行う権力を天皇側にお返しするということ。この大政奉還により薩長は幕府を倒す大義名分を失ってしまう。

天皇からお借りしている政治権力で、悪政をする幕府は許せねえからシバく

政治を行う権利を天皇様にお返ししまーす(大政奉還)

王政復古の大号令

大政奉還を行った幕府には狙いがあった。一つは薩長の江戸幕府倒幕の大義名分をなくすこと。さらに長い江戸時代の間実際に政治を行ってきたのは幕府であり徳川家であった。なのでいきなり政治の実権を返されたとしても天皇側はうまく政治を行うことは出来ず、結局今後も徳川家が日本の中心となれるだろうと考えていた。

どうせあいつら政治のやり方忘れてるから今後も俺たち中心でいけるっしょ

この幕府の大政奉還に対する朝廷(天皇)側の反撃が王政復古の大号令。王政復古の大号令により今後は天皇中心でやっていくと宣言された。さらに新しい政治の役職を設置し、そこに徳川家は起用しなかった。

これからは天皇中心でいかせていただきます。徳川家は黙っといてください。

さらに朝廷側は畳み掛ける。小御所会議によって徳川家の官職の辞職と領土の削減が決定され徳川家の力を削いでいった。

前まであげてた役職は無しね、後領土も削減な

徳川家はこの朝廷側の要求に対して反発することができない。なぜならこれは朝廷側からの挑発であり、力の削減に対して反発するとそれは攻められる口実を作ってしまうことになるからだ。よって徳川家は黙って天皇の要求を飲むしかなかった。

ちくしょう、朝廷の要求は断てえけど断ったら攻められる口実を作ってしまう

徳川家の大政奉還も政治的なカードとしては良い一手だったが、それを朝廷側が上回ったとも言える大政奉還と王政復古の大号令の攻防になった。

 



戊辰戦争

徳川家は朝廷の思惑を読み取り、要求を受け入れることでなんとか戦争は回避していたが徳川家に仕えていた人や周囲の人々は雑に扱われている事に耐えられず結局は戦争となってしまった。こうして起こった旧幕府軍vs新政府軍の戦いが戊辰戦争。

徳川家の取り巻き
徳川家の取り巻き

くそ、俺たちをコケにしやがってシバくぞ

鳥羽・伏見の戦いで新政府軍が勝利すると、戊辰戦争は新政府軍優位に進んだ。その後江戸城無血開城が起こった。江戸を新政府軍が攻めるとなると江戸が血の海となってしまうことを考慮した上で新政府軍の西郷隆盛と旧幕府側の勝海舟が話し合った結果旧幕府側は戦わずして江戸城を明け渡す事にした。

江戸城が明け渡された後も粘り強く抵抗する勢力もあったが最終的に五稜郭の戦いで新政府軍が止めを刺し戊辰戦争は新政府軍の勝利に終わった。

まとめ

薩長同盟が結ばれ、天皇の幕府を倒せという命令が下りついに実力と大義名分を獲得した薩長だったが徳川家の大政奉還によって徳川家は戦争になることをうまく回避した。徳川家は朝廷に政治の権力を返還したところで実際には徳川家が政治の中心を担っていくという狙いがあった。

しかしその後の王政復古の大号令により天皇中心でいく方針が固まり、徳川家は力を削がれていった。

散々コケに扱われた事に怒りを募らせた旧幕府側vs新政府軍での戊辰戦争が勃発し、新政府軍の勝利に終わった。

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