大日本帝国憲法の制定と日本国憲法との違いは?



ドイツ流で作られた大日本帝国憲法

憲法制定のリーダーとなったのは伊藤博文。伊藤博文は憲法を制定するためにヨーロッパに渡り、憲法について学ぶことになった。伊藤博文はドイツに渡り、ドイツ流の憲法を学んだ。ドイツの憲法は君主権が強く設定されていたため、天皇に強い権力を持たせたいと考えていた当時の日本が理想とする憲法に近かった。

伊藤博文
伊藤博文

ドイツの憲法は君主権が強いから、ドイツに憲法とはなんたるかを学びに行ってくる

こうして伊藤博文はベルリン大学のグナイストやウィーン大学のシュタインのもとで君主権の強い憲法について学んだ。

憲法制定のための準備

憲法を制定するにあたって国内でも準備が行われた。それまでの太政官制が廃止され内閣制度が創設された。内閣制度のトップは内閣総理大臣であり、伊藤博文が初代内閣総理大臣となった。

伊藤博文
伊藤博文

俺が初代内閣総理大臣じゃ

政治面での天皇を補佐する役割として内大臣が設置された。また地方制度改革も行われることになりドイツ人顧問モッセの助言により山縣有朋が実行した。

 



主権者は天皇。大日本帝国憲法の内容とは?

憲法制定作業では伊藤博文が責任者となった。憲法の草案作成はドイツ人顧問ロエスレルのもと井上毅、金子堅太郎、伊東巳代治によって作成された。こうして大日本帝国憲法は1889年2月11日に公布された。

大日本帝国憲法は君主権の強いドイツの憲法の影響を強く受けている。そのため大日本帝国憲法では日本の君主である天皇に多くの権限が与えられている。第一に大日本帝国憲法は天皇が作ったもので、欽定憲法と呼ばれる。これに対して日本国憲法を作ったのは国民であり、民定憲法と呼ばれる。

大日本帝国憲法を作ったのは日本の君主である私です。

大日本帝国憲法では天皇に大きな権力が与えられていて法律を超える権限を持つ緊急勅令を天皇が出すことができた。また陸海軍を率いる統帥権を持ていたため全ての軍の頂点に天皇が君臨していた。条約の締結や宣戦布告の権利も天皇が有していた。

私に多くの権限が集められていて、法律より強い拘束力のある命令も出せるし、軍隊は私の思い通りに動きます。

日本国憲法では国民に主権があるが、大日本帝国憲法では天皇に主権があった。さらに人権に関しても日本国憲法では法律によって人権の制限はできないが、大日本帝国憲法では人権は天皇によって与えられたもので法律によって制限することが可能だった。

主権者は私です。国民の皆さんに人権あげます。

議会は天皇を助けるための協賛機関であり貴族院と衆議院から構成された。貴族院は選挙は行われなかった。衆議院は国民の選挙によって選ばれるが選挙権が「直接国税15円以上を納める25歳以上の男子のみ」に制限されていた。これは国民の1.1%ほどでごく一部の人間しか選挙することが許されていなかったことがわかる。

お金持ち
お金持ち

選挙いくやで〜

まとめ

大日本帝国憲法を作成するにあたって伊藤博文がドイツに渡り憲法の勉強をした。そのため大日本帝国憲法はドイツっぽい憲法となった。

さらに憲法を制定するための準備が国内でもなされた。太政官制が廃止されて内閣制度が創設され伊藤博文が初代内閣総理大臣となった。

大日本帝国憲法は天皇が制定した欽定憲法であり、主権者は天皇となった。そのため多くが天皇について書かれており、国民は臣民として法律の範囲内での自由が認められた。

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