第二次護憲運動と憲政の常道とは何かわかりやすく解説

 



第二次護憲運動

山本権兵衛内閣が関東大震災の混乱を受けて、山本が総理を降りることになり次に総理大臣となったのが清浦奎吾。この清浦内閣は超然内閣と言われる内閣であった。超然内閣とは簡単に説明すると国民のいうことや議会のことを全然聞かないという性格の内閣であり国民は不満を持つようになる。桂太郎や寺内正毅といった超然内閣を過去に潰してきていた国民はこの清浦内閣に対しても行動を起こす。こうして始まった清浦やめろ運動が第二次護憲運動。

国民
国民

俺たちは桂内閣も寺内内閣も潰したんだから清浦内閣も潰せるだろ

こうして加藤高明の憲政会、高橋是清の立憲政友会、犬養毅の革新倶楽部が協力して護憲三派が結成される。選挙に圧勝し、その勢いに耐えられなくなった清浦内閣は総辞職に追い込まれる。桂、寺内に続き再び国民が総理を下すことに成功する。

国民
国民

また俺たちの力で総理を下すことができたぞ!

憲政の常道

ここからは憲政の常道と呼ばれる時代が始まる。議会や国民の意見を聞かない超然内閣は国民によって潰されることが明白になってきたので、国民の選挙によって選ばれた政党員から内閣が決められる政党内閣が基本となっていく。

これからは国民の意見を汲み取る感じの内閣で行きます。

特に立憲政友会と憲政党が国民の支持を集めこの二つが交代しながら政権を担当することになる。立憲政友会は積極政策、中国進出を狙うグループ。お金を使って軍備を整えるので攻めの政友会となる。逆に憲政党はお金を節約し、外国とは仲良い感じに進めていく緊縮財政と協調外交を進める守りの憲政党といった具合だった。

 



普通選挙法と治安維持法の導入

第二次護憲運動によって超然内閣であった清浦内閣を倒した後、護憲三派の中の加藤高明が総理大臣となり護憲三派内閣が成立した。この加藤高明内閣によって普通選挙法が導入される。普通選挙法の導入によってこれまで一部税金を納めることのできるお金持ちしか選挙権が与えられていなかったところが、満25歳以上の男子全員に選挙権が与えられることになった。

国民
国民

しゃあ金持ちじゃなくても、選挙に参加できるようになったぜ

普通選挙権によって国民にアメを与えた内閣だったが、ムチも忘れなかった。それが治安維持法の制定。治安維持法によって天皇制のあり方や国のあり方を根本から変えようとする企みをする者の弾圧。さらに私有財産を否定する者、つまり社会主義者の弾圧をするための法律を作った。

あんま調子乗りすぎんなよ

さらに加藤高明内閣の時に日ソ基本条約が締結されソ連と国交が樹立された。それまではシベリア出兵など社会主義のソ連との国交はなかった。

まとめ

山本権兵衛内閣の後清浦内閣が成立。清浦内閣は国民の意見を全然聞かない内閣だったため第二次護憲運動が勃発し、総辞職に追い込まれた。

この後からは憲政の常道と呼ばれる時代になった。桂、寺内、清浦と国民の意見を無視する内閣は国民によって潰される時代になった。そのためこれからは国民の選挙によって選ばれた政党員によって内閣が作られる政党内閣の時代へとなっていく。

清浦内閣を倒して成立した加藤高明内閣は普通選挙法の導入によって選挙権の拡大を行った。しかし治安維持法による現体制反対派の弾圧も行うようになる。さらに加藤内閣の頃にソ連と国交を樹立した。

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