不平等条約の改正の流れを簡単に解説1

 



条約改正問題

幕末に結ばれた欧米諸国との不平等条約を改正することは明治政府にとって最重要課題の一つだった。治外法権の撤廃と関税自主権の回復をすることが日本の悲願だった。

日本
日本

不平等条約を改正してやる

岩倉具視

そんな条約改正を達成するためにまずは岩倉具視が欧米に渡った。しかしそこで岩倉は相手にされず、交渉のテーブルにつくことすらできなかった。その後岩倉は条約改正ではなく欧米から学びを得るために欧米視察と目的を変えて欧州各国を渡り歩いた。

岩倉具視
岩倉具視

くそお、交渉すらさせてもらえねえ

寺島宗則

続いて登場したのが外務卿の寺島宗則。寺島は関税自主権の回復を狙った。寺島の交渉に対してアメリカは歩み寄りを見せ合意に至りかける。しかしイギリスやドイツが応じなかったために結果的には失敗に終わる。

寺島宗則
寺島宗則

アメリカには合意してもらえそうだったのにイギリスに反対された

当時の日本の最大の貿易相手はイギリスだったためイギリスとの不平等を解消できないことに意味がなかった。

 



井上馨

次に井上馨は西欧風の建物を作るなど欧化主義政策を進める。ヨーロッパっぽい建物である鹿鳴館を建設しそこに各国の代表を招待。日本も文化的に進んだ国だとアピールする作戦に出た。

井上馨
井上馨

ヨーロッパに寄せていって信頼を勝ち取るぞ

こうした井上の政策が功を奏し欧米は一定の歩み寄りを見せる。裁判官に外国人を任用することを条件に治外法権の撤廃が認められた。

しかしここでノルマントン号事件が勃発する。日本の海でイギリスの船が難破した。イギリスの船長はイギリス人のみを助け、日本人は全員死亡した。このイギリス人船長は裁判により無罪判決を受ける。これに対し日本人が日本の法律で裁けるようになったとはいえ実際に判断する裁判官が外国人だと結局意味ないじゃないかと反感を抱く。治外法権の完全な解消の世論が高まる。

国民
国民

結局外国人が裁くなら意味ねえじゃねえか

まとめ

条約改正に動き出したトップバッターは岩倉具視。岩倉使節団として欧米に渡ったが、相手にされず、交渉のテーブルにつくことすらできなかった。

続いて寺島宗則が税権の回復を狙う。アメリカが合意したが、イギリスやドイツが応じなかったため失敗に終わる。

次に井上馨が欧化主義政策。欧風の建物を作り、そこに各国の代表を招待しておもてなしをし治外法権の撤廃を狙う。これにより欧米諸国も妥協を見せるも外国人裁判官を任用することになった。

しかしイギリス人は助かり日本人が全員死んでしまったノルマントン号事件でイギリス人船長が無罪判決になったことで治外法権の完全撤廃が叫ばれるようになる。

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