自由民権運動とは何かわかりやすく解説

 



自由民権運動の目的と前半

岩倉使節団が欧米諸国に視察に行っている間日本では征韓論という韓国を武力によって開国させるという主張が広まっていた。しかし岩倉使節団が帰国すると征韓論に反対され征韓論を主張していた西郷隆盛や板垣退助は政府をおりることになった。政府をおりた板垣退助は国会や憲法を作り民主主義政治を目指す自由民権運動を始める。

板垣退助
板垣退助

国会と憲法を作って日本を民主主義の国にするんだ

板垣退助は日本各地で自由民権運動を進めるためのグループを設立していく。大阪の愛国社は特に大きなグループとなり勢いはどんどん増していった。勢いは政府が無視できないほど大きくなっていき政府はある程度の妥協をすることとなる。

政府
政府

板垣グループの勢いがやべえからちょっと妥協してやるか

大阪会議が開かれることになり漸次立憲体制の勅が出された。これは急に国会とか作るのは無理だけどいつか作るからとりあえず落ち着いてくれ的な感じだった。さらに地方の意見も取り入れる流れもできた。

政府
政府

いつか国会作るから今はとりあえず落ち着いてくれや

一定の妥協もした政府だったが、弾圧も行った。讒謗律(ざんぼうりつ)によって政府のことを悪く言うのを禁止。さらに新聞紙条例によって文章による政府批判を禁止した。

政府
政府

俺たちの悪口言う奴らは許さねえ、あと新聞にも悪口書くなよ

自由民権運動後半

政府に弾圧をくらったことで一度落ち着きを見せる自由民権運動だったが、再び盛り上がりを見せることになる。かつて板垣退助が作った自由民権運動グループが政府に対して意見書を提出するなど盛り上がりを見せる。これに対して政府は再び弾圧を加えることになる。集会条例によって自由民権運動グループの活動を限定する。

政府
政府

またあいつらか、弾圧してやる

こうして再び自由民権運動の勢いは失われることとなる。しかしある事件をきっかけに再び自由民権運動は動き出す。それが開拓使官有物払い下げ事件。この事件を簡単に説明すると北海道の開拓を任されていた政府の人間が、同じ薩摩藩出身の商人に税金で作った施設を格安で売った事件。国民の税金で作ったものを格安で売ったことで政府批判が高まる。

国民
国民

政府のやろうには任せておけねえ!国会作れや!

この事件は秘密裏に行われていたわけだが、なぜか情報が漏れて政府は批判されることになった。情報を漏らした犯人として大隈重信は政府から追放されることになる(真相は定かではない)。これを明治十四年の政変という。

政府
政府

大隈重信追放!

しかし国民による政府批判は収まる事はなく遂に国会解説の勅諭によって国会が10年後に開くことが約束された。

政府
政府

わかりました、10年後に国会を開きます

 



政党の結成

国会が開かれることが決定したことで政党が作られるようになる。自由民権運動の中心人物だった板垣退助が自由党を結成。さらに政府を追放されていた大隈重信が立憲改進党を結成。これら二つの党は政府を批判する立場の政党だった。それに対して立憲帝政党といった政府側の政党も存在した。

板垣退助
板垣退助

遂に国会が開かれることになったぞ!政党を作るかああ

まとめ

岩倉使節団の帰国によって征韓論を主張していた板垣退助や西郷隆盛は政府をおりることになった。板垣退助は議会を作って国民が意見を言えるような民主主義を目指した自由民権運動を始める。各地でグループを作り、政府に圧力がかかるようになる。政府は憲法を作ることを約束し地方の意見も取り入れるようになった。しかし弾圧も加えられるなど厳しい面もあった。

その後再び自由民権運動が盛んになると再び政府はこれを弾圧し、勢いを失うことになる。しかし明治十四年の政変により遂に国会が開かれることが約束される。そして政党が結成されることとなる。

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