松方財政
政府は西南戦争の戦費を賄うために政府は不換紙幣(金や銀と交換することのできない紙幣)を乱発した。さらに軍艦や武器を海外から購入するために金や銀で支払いを行ったため国内から金や銀が不足した。結果的に国内で物価が上昇するイフレーションが発生。

やべえ、お金印刷しすぎた
松方正義が大蔵卿に就任するとインフレを解消するためのデフレ政策を展開する。まず乱発しすぎて国内にあふれている不換紙幣を回収しお金の流通量を減らす。さらに増税をして政府の収入を増やし、政府の支出は最小限に抑えた。日本銀行の設立も行い日本銀行のみが銀兌換の紙幣を発行可能にした。

国内に流通するお金の量を減らしてデフレにするぞ
民権運動の激化
松方正義の政策によって国内ではデフレが起こった。例えば1kgのお米で1万円ゲットできていたとするとデフレが起こると1kgのお米で5000円しかゲットできなくなる。農民にかけられる税金は変更がなかったためデフレによりお金を獲得することが難しくなった農民は生活が苦しくなった。

おい、全然お米が売れねえぞ。税金払えねえ
国民の生活が苦しくなったことで政府に対する不満が高まり民権運動が激化することになる。政府は集会条例を改正し政党の地方支部を禁止する。これにより生活が苦しい農村部の声が政府には届かなくなる。

農村の奴らうるせえから地方支部禁止〜
民権運動の再結成
その後各地で事件が乱発する。なんや感やしているうちに国会開設の勅諭によって約束された10年の時間が近づいてくる。自由民権運動といっても農民、士族、商人などそれぞれの階層で微妙に主張が違ったりした。しかし細かい事は一旦無しにして団結しようという動きになる。

みんなちょっとずつ主張は違うけどとりあえず団結しよう!
こうして団結した後三大事件建白運動によってみんなの主張を3つにまとめて政府に要求していくぞ!となった。結果地租の軽減、言論集会の自由、外交失策の挽回(不平等条約の改正)の三点に絞って政府への圧力を強めた。これに対して政府は保安条例によって民権派を東京から追放した。
まとめ
不換紙幣を乱発した結果日本ではインフレが発生することになった。大蔵卿となった松方正義が不換紙幣を整理し、日本銀行を設立。日本銀行が銀兌換の紙幣を発行することでデフレーション政策を行なった。しかし国民の税金は下げられなかったので国民の生活は苦しくなった。
松方財政により国民の生活が苦しくなったことで政府への攻撃が高まった。政府は地方の不満を聞かない方針へと方向転換することになった。
民権運動の激化により各地で事件が相次ぐ。なんやかんやで時がたち各地で暴れるより団結するべきだ的な動きになり三大事件建白運動が勃発。政府は保安条例により民権派を東京から追放した。
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