日清戦争後の日本の政治(政党内閣の始まり)

 



政府と政党の接近

日清戦争以前の日本では基本的に軍事力を強化するために税金をアップしたい政府vs税金を払いたくない国民によって選ばれた国会議員による対立があった。

税金あげて軍事力をアップさせるぞ

いやに決まってんだろ、税金下げろや

しかし日清戦争にかった戦勝ムードや文句しか言えず実際には政治を行うことができない議会のもどかしさによって政府と政党が接近していく。

政府に文句言うだけじゃなくて、実際に政権握って国を動かしてえな

国民
国民

日清戦争に勝ったぞーーー! 多少税金上がっても戦争に勝って賠償金取れるならそれでいいんじゃね?

こうして日清戦争後に成立した第二次松方正義内閣に進歩党のトップだった大隈重信が外務大臣として内閣に入り込んだ。それまでの政府は形式的に天皇から内閣が作られるため国民の声を無視した政策が展開される。しかし国民によって選ばれた政党の人間が内閣に入ることで国民の声が実際の政治に反映される事になる。

大隈重信
大隈重信

よっしゃ内角入ったったぞ。これで国民の声を政治に反映することができるぞ。

さらにその後の第三次伊藤博文内閣の時にデカめの政党だった自由党と進歩党が合体して憲政党が成立した。党首には大隈重信が就任した。

初の政党内閣、大隈重信内閣

第三次伊藤博文内閣のあと大隈重信を総理大臣とした第一次大隈重信内閣が組閣された。この第一次大隈重信内閣は政党のトップが総理大臣となった日本初の政党内閣となった。さらに旧自由党の板垣退助も内務大臣に起用され二人の名前から隈板内閣と呼ばれる事になった。

大隈重信
大隈重信

遂に政党のトップが総理大臣になったぞ!

しかし文部大臣が共和演説事件でやらかしてしまい、その後憲政党内部で旧自由党系と旧進歩党系が仲間割れを起こしてしまった。この仲間割れにより憲政党は旧自由党系の憲政党と旧進歩党系の憲政本党に再び分裂してしまった。これを受けて大隈重信内閣はわずか数ヶ月で内閣総辞職になってしまった。

 



第二次山県有朋内閣

大隈重信内閣が総辞職したあと山県有朋を総理大臣とした第二次山県有朋内閣が組閣された。山県有朋は軍や官僚のボスだったため議会を無視して軍や官僚のための政策を行なっていく。国民によって選ばれた国会議員によって組織される政党内閣では国民の声を聞いた政策が行われるため自由にやりたい軍や官僚はめんどくささを感じていた。

軍人や官僚
軍人や官僚

俺たちは俺たちのやり方があるのにいちいち国民にとやかく言われんのだりいな

まず手始めに文官任用令を改正し、政党勢力(国民)が官僚などの役人になりにくくするように変更した。

山県有朋
山県有朋

ポットでのやつに高級官僚になられてたまるか

さらに軍部大臣現役武官制によって陸海軍の大臣は現役の軍人でなければならないと定めた。さらに治安警察法によって反政府的な動きをした人物を弾圧することを可能にした。

山県有朋
山県有朋

軍のトップを政党の奴らにはさせねえ。あと反政府的な動きを見せた奴はシバくからな

まとめ

日清戦争後の日本では政府と政党が接近を始めた。第二次松方正義内閣では進歩党の大隈重信が外務大臣に就任。ここから国民によって選ばれた議員が政府の中に入り込んで実際に国を動かすことに関わっていくようになる。

第三次伊藤博文内閣の時に自由党と進歩党が合体し憲政党が成立。勢力を大きくした憲政党は党首大隈重信を内閣総理大臣として初の政党内閣を組閣した。しかしこの初の政党に内閣は旧自由党系と旧進歩党系の間で仲間割れを起こし、数ヶ月で内閣総辞職する事になった。

続いて第二次山県有朋内閣が成立。山県有朋は軍や官僚からの支持が厚いため国民や議会のいうことを無視して官僚や軍が有利になるような法律や政策を行った。

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