【オスマン帝国の歴史】1・オスマン帝国の繁栄

 



オスマン帝国が最強の理由

オスマン帝国は軍人に給料としてお金ではなく土地を与え、その土地からの税金を収入とする方式を採用していた。よって優秀な軍人の給料を上げたかったら新しい土地を征服してその土地をあげる必要がある。そのためオスマン帝国は積極的な征服活動を行っていく。

トルコ
トルコ

軍人に給料を上げるために新しい土地をゲットしにいくんだ

征服活動をする上で活躍したのがイェニチェリと言われる軍隊だ。イェニチェリはキリスト教からイスラム教に改宗した人で組織された軍隊でスルタン(皇帝)の親衛隊として活躍した。皇帝のために戦うとイェニチェリの給料はどんどん上がっていく。そのためキリスト教徒でも自ら志願してイスラムに改宗し、イェニチェリになりたいと望むものも多かった。そんなやる気に満ち溢れたイェニチェリは大活躍し、オスマン帝国の領土拡大に貢献した。

イェニチェリ
イェニチェリ

スルタンのために戦って領土を拡大するぞおおおおお

バルカン半島への進出

オスマン帝国はオスマン1世によって建国された。現在のトルコあたりに建国されたオスマン帝国はアジア方面ではなく、バルカン半島方面への進出を目指した。

上記のイェニチェリは第3代皇帝のムラト1世が組織した。イェニチェリという最強の軍隊を作り上げたムラト1世はバルカン半島を狙っていく。オスマンの侵略にセルビアを中心としたスラブ系民族が反抗したが、コソヴォの戦いでこれを破りバルカン半島での支配を確立した。

ムラト1世
ムラト1世

イェニチェリを作ってバルカン半島のスラヴ系勢力をボコすぞ

 



征服王メフメト2世

こうして順調にバルカン半島に進出して行ったオスマン帝国だったが、オスマンの東にあったでかいイスラムの王朝にアンカラの戦いで敗れ一時滅亡の危機にまで追い込まれる。しかしその後皇帝に即位した征服王メフメト2世によってパワーをさらに増加させていく。

メフメト2世は難攻不落のコンスタンティノープルを攻めた。コンスタンティノープルでは1000年以上続いていたビザンツ帝国がしぶとく君臨していた。三方向を海・川で囲まれたコンスタンティノープルを攻め落とすのはめちゃくちゃ難しくて、オスマン帝国はここをなんとしても獲得したかった。

メフメト2世
メフメト2世

コンスタンティノープルを攻略してビザンツ帝国の1000年の歴史に終止符を打つ

メフメト2世は船を1度陸にあげてコンスタンティノープルの唯一守りが緩かった方向から上陸して一気に攻め込んだ。これによりコンスタンティノープルは陥落し、ビザンツ帝国の長い歴史は幕を閉じることになった。

まとめ

現在のトルコあたりに建国されたオスマン帝国は最初はちっちゃい国だったが、イェニチェリという最強の軍隊を組織してバルカン半島方面へと領土拡大を狙って行った。一度バルカン半島の反対側からデカイ王朝に攻められて滅亡仕掛ける。しかしその後皇帝となったメフメト2世によって難攻不落のコンスタンティノープルを攻めおとしパワーを増加させることに成功。この後、アジア方面へと狙いを定めオスマン帝国は繁栄していくことになる。

続きはこちら

コメント

タイトルとURLをコピーしました