【オスマン帝国の歴史】3・オスマン帝国の衰退と滅亡

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オスマン帝国の弱体化

第一次ウィーン包囲ではヨーロッパを震え上がらせたオスマン帝国だったが、17世紀頃から徐々に弱体化を始める。どうしてもヨーロッパに進出したかったオスマン帝国は第二次ウィーン包囲を行うもこれに失敗。

オスマン帝国
オスマン帝国

ウィーン包囲失敗してしまった。

この包囲戦の後オーストリアやロシアなどからなる神聖同盟との大トルコ戦争が勃発する。講和条約として結ばれたカルロヴィッツ条約でオスマン帝国は初めてヨーロッパ諸国に領土を奪われた。

オスマン帝国
オスマン帝国

やべえ、ヨーロッパの奴らに領土奪われた。

こうしてヨーロッパ諸国に押されつつあったオスマン帝国をみてアラブ人たちが独立の動きを見せ始める。エジプトやイラン・アラビア半島で独立する国がちらほら出始めてオスマン帝国は弱体化していく。

オスマン帝国の改革

弱体化していくオスマン帝国を改革しようとする皇帝が現れる。それがアブデュル=メジト1世だ。行政・軍事・財政・司法などの様々な面での西欧化を目指すタンジマートを表明し弱体化するオスマン帝国の改革を進めた。

アブデュル=メジト1世
アブデュル=メジト1世

様々な面での西欧化するぞ

さらにミドハトという宰相が現れてアジア初の憲法となるミドハト憲法を発布。皇帝が収めるシステムだと皇帝が有能なら強い国になれるが、皇帝が無能だった場合めちゃくちゃな国になってしまう。しかし憲法があれば皇帝の権限が制限されるのである程度無能な皇帝でも国はそこまでめちゃくちゃにならなくて済む。

ミドハト
ミドハト

憲法を作って皇帝の力を制限するぞ

そんな憲法が作られようとしている中ある国が出しゃばってくる。それがロシアだ。ロシアは凍らない港を求めて何度もトルコと戦争をしている。今回もトルコに戦争を仕掛けロシア=トルコ戦争が勃発。

ロシア
ロシア

オスマン帝国をボコして凍らない港をゲットするんだ

この時のオスマン皇帝アブデュル=ハミト2世はロシアとの戦争をチャンスだと捉えた。この戦争に勝てば自分のアピールとなり憲法で皇帝の権限が制限されることを防げる。こうしてアブデュル=ハミト2世はミドハト憲法を停止しロシアとの戦争に臨んだ。

アブデュル=ハミト2世
アブデュル=ハミト2世

憲法を停止してロシアとの戦争に臨むぞ

しかし結果オスマン帝国はロシアとの戦争に負けてしまった。憲法を停止してまで臨んだ戦争で負けたので皇帝に対する求心力は低下した。そんなオスマン帝国に現れたのが青年トルコ人と呼ばれる団体だ。青年トルコ人はミドハト憲法の復活を目指していた。そして青年トルコ人革命によってオスマン帝国では憲法が復活した。

青年トルコ人
青年トルコ人

やっぱ皇帝1人に任せるのはクソ。時代は憲法だわ。

 



トルコ革命・オスマン帝国の滅亡

憲法を復活させたオスマン帝国は第一次世界大戦に巻き込まれていく。オスマン帝国はドイツ側で参戦して敗北。結果的にセーヴル条約が結ばれることになった。このセーヴル条約は不平等な条項が盛り込まれていてさらにオスマン帝国は大幅に領土を失った。しかしオスマン皇帝は文句を言わなかったため弱腰の皇帝に対して国民の不満が高まる。

トルコ国民
トルコ国民

おい、領土大幅縮小されてるのに文句ひとつ言えねえのかうちの皇帝は

そんな不満のトルコ国民の不満を背負ったのがムスタファ=ケマルだ。トルコ革命によってスルタン制を廃止。これによってオスマン帝国は滅亡。セーヴル条約を破棄して新しくローザンヌ条約を締結。負けた側が勝った側に要求を通すというとんでもない外交能力を発揮して領土を回復。そのままトルコ共和国を成立させ初代大統領となった。

ムスタファ=ケマル
ムスタファ=ケマル

酷すぎる内容の条約を破棄して新しい条約を結ぶぞ

まとめ

第二次ウィーン包囲に失敗し、カルロヴィッツ条約を締結させられたオスマン帝国は徐々に衰退していくことになる。アブデュル=メジト1世などが西欧風の改革を行うもあまりうまくいかず、第一次大戦で敗北するとトルコ革命によってオスマン帝国は滅亡することになった。

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