三つのポイント
- 独裁の後も独裁
- 議会「もちろん俺らは抵抗するで法で!」
- 王は君臨すれど統治せず
独裁の後も独裁
クロムウェルの独裁
イギリスではジェームズ1世やチャールズ1世による独裁が行われていた。これに反抗したのがカルヴァン派プロテスタントたち。チャールズ1世を処刑し王のいない共和制となりトップはクロムウェルになった。これがピューリタン革命。ピューリタン革命の記事もあるのでよかったらどうぞ
そんなピューリタン革命によって独裁者を追い出して国のトップになったクロムウェル。まさかのクロムウェルも独裁政治を始める。これなら王がいたほうがまだマシ!と今度は元の王の一族をフランスから連れてきて王にした。
チャールズ2世
こうしてイギリスの王になったのがチャールズ2世。しかしこのチャールズ2世もカトリックを復活させようとしたり専制政治をしたり結局独裁。
独裁者をピューリタン革命により追い出したと思ったらその追い出したやつが独裁し始めて、そいつもいなくなったと思ったらまた独裁が始まるとかいう地獄の連続。
さらに宗教では最初の独裁者はイギリス国教会を強制してきて次のやつはカルヴァン派強制して来たかと思えば今度はカトリック。
民衆は混乱を究めることになった。
議会「もちろん俺らは抵抗するで法で!」
二つの法律
チャールズ2世の独裁っぷりに議会ももちろん抵抗する。法で。
公務員にはイギリス国教会信者のみなれる法律と王の勝手な理由での逮捕や処刑を禁止する法律を制定。王に対抗していく。
議会が二つに分裂
そんな中王位継承問題が発生する。チャールズ2世の後継として弟のジェームズ2世が候補に上がった。議会内でジェームズ2世の即位に賛成のトーリー党と反対のホイッグ党に分かれる。このトーリー党が後に保守党となり、ホイッグ党が後の自由党となる。多数決の結果トーリ党が勝利し、ジェームズ2世が王に即位することが決定した。
しかしこのジェームズ2世もチャールズ2世と何も変わらない独裁政治を行った。
王は君臨すれど統治せず
独裁の終わり
もう独裁はいやだった議会の人々はオランダにいたイギリス王家の人に王になってくれとお願いをする。その代わり議会の権限も認めてねと約束した上で。頼まれたウィレム3世とメアリ2世夫妻が兵隊を率いてジェームズ2世を追い出すためにイギリスにきた。ジェームズ2世もこれに対抗するために軍を集めようとするもほとんど誰もジェームズ2世のためには戦ってくれなかったためジェームズ2世はフランスに亡命する。こうして血を流すことなく独裁政治からの革命を果たしたため名誉革命と呼ばれる。
立憲王政
このウィレム3世とメアリ2世の対して議会は「王より議会の方が偉い」的な内容の「権利の宣言」を提出し、夫妻はこれに署名した。さらに夫妻は「権利の章典」として文章化し、発布した。
これにより王は存在はしているけども、王も憲法に従わなければならないし、政治に関して権力は持たないという立憲王政が確立した。
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